みそさざいの囁き(浅木ノヱの季語のある暮し)

生活の中に詩を、俳句を。季語のある暮しを楽しみます

かぶと虫

ひつぱれる糸まつすぐや甲虫 高野素十

 隣の少年、虫が大好きだけあって、虫を見つけるのが大得意だ。ある日、大事そうに見せてくれたのが広町緑地で捕まえたというかぶと虫。 

 そう言えば、昔からかぶと虫は虫の王様、持ち主はヒーローだった。「ちょっとだけ触らせてやるなんて」言われて、てのひらをさしだすと、ギザギザの爪が痛かったり、角で挟まれたり。びっくりして思い切り手をふると、かぶと虫が飛んで逃げてしまって、怒られたりしたものだ。

 でも時々、かさこそという音と独特のにおいに気がついて、窓の下をさがしてみるといるのだ、かぶと虫が。おそらく灯りを求めて飛び込んでくるのだろう。さあ大変。とりあえず菓子箱に穴をあけて虫かごにし、出したり入れたり、糸をつけてマッチ箱を引っ張らせたり。存分に触りまわすので、たいがいは朝には死んでいたり、逃げていたり。(もしかしたら、死んだかぶと虫をこっそり親が処分していたのかもしれない)。今思えば、子供時代はなんと残酷だったのだろう。

 ところが、隣の少年は違う。上手に卵を産ませたり、夏の終わりにはまた裏山に放してやるのだ。命の大切にする少年ゆえに、虫にも愛されるのだろう。

ふるさとの夜のにほへり甲虫  ノヱ

 

 

夏空

         鎌倉高校前からのぞむ相模湾   

洗濯機より息子の夏を抱へだす ノヱ 

 長男がサッカー、次男がテニスに明け暮れた十年あまりは毎日が洗濯と食事にづくりに追われていました。夏の一日を満喫した証のような、燃え盛るエネルギーそのもののような汗と泥にまみれた洗濯物の山、一日中洗濯機がうなり声をあげていたような気がします。

 そんな母の強力な味方は燦々と照り付ける太陽と青い空。大空から取り込んだ洗濯物のにおいは、あわただしくも満ち足りた家庭のにおいであったと、夫婦二人となった今、なつかしく思い出されます。

 あと十日もすれば梅雨も明けるでしょう。今月の末には、長男の結婚式です。

*掲句、第二三回「俳句四季」全国俳句大会にて夏井いつき賞を受賞。七月七日に授賞式があります。



 

 

 

 

でで虫

伯母のきものを利用した手作り四つ目綴じ本

 一昨日からの雨がようやく止み、午後からは青空がひろがっています。

 5月30日(火)ひらしん平塚文化芸術ホールにおいて、第1回俳人協会神奈川県支部俳句大会が開催されました。たくさんの名句、好評に出会い、大変満ちたりた一日となりました。 

でで虫やかなしきときの国訛 ノヱ

         (当日句 堀本裕樹選)

 5月末で西鎌倉のケーキ店「レ・シュー」が閉店しました。「西かまプリン」や「匠」などもう一度ゆっくり味わいたかったです。地元が誇れる名店がなくなるのは寂しいかぎりです。 

 

 

 



新緑

切絵:小出蒐

新緑や風に梳かせる旅の髪 ノヱ

早朝の谷川に沿って歩く。鳥の声やせせらぎに耳を澄ませ、新樹のかおりを胸に満たすと、体中の細胞が息づいてくるのがわかる。新緑の風が髪を梳くように吹き抜けてゆく。前へ前へと確かな足取り、高く上がった太陽に谷若葉がまぶしい。

花の駅発つ子ふたたび振り向かず   ノヱ

丸ポストは鎌倉のシンボル(極楽寺

  一度大きく手を振ると改札を足早に通り抜けていった息子は、もう二度と振り返ることはなかった。社会人としての新しい生活への不安よりもさらに大きな期待に胸をふくらませて踏み出した息子の一歩。「これでいいのだ」と胸をなでおろしつつ見上げる桜・・・。かつて進学のため上京する故郷の駅での父の姿が思い出される。あの駅の桜の大木は今も健在と聞く。

成就院から望む由比ガ浜

 

雛祭

母の手づくりの内裏雛とわが古雛

 生家では毎年3月3日にひな人形を飾り、ひな祭を祝うのは4月3日です。南国・徳島とは言え3月の初めはまだまだ寒く、桃や菜の花が山里を飾るのは4月になってから。雛祭も旧暦で行うほうが、より季節感を味わえるような気がします。

 結婚するとき持っていくものだから、小さいけれど三人に一つずつと言われてきた小さな御殿飾の雛人形は、その小ささゆえに、幾度の引越を経て今もなお飾ることができています。

 幼かった息子が「おかあさん、どうしてうちにひな人形があるの? 女の子がいないのに」「おかあさんも昔は女の子だったのよ」と私。「ふうん、そうなんだ」

 御殿の飾りも、五人囃子の御道具も、かなりあやしくなっていますが、時を経た色合いは目にやさしく、古家にもしっくり馴染みます。

 

ひなまつり息子の知らぬ母のあり  ノヱ 

 

 

 

筆供養

荏柄天神社

筆供養

 1月25日は初天神、三大天神のひとつである鎌倉・荏柄天神社では筆供養が行われます。例年なら先駆けの紅梅の満開の下に開催されるのですが、今年の梅はまだちらほら咲き。まして10年ぶりの寒波襲来ということで、人出もそれほどではありませんでした。
 お孫さんの合格祈願なのか「三大天神踏破」を語るご年配の方、カメラ愛好会らしき方たちの元気あふれる中、長く・静かに合掌をする人たちに、高く、低く筆を焚く火の香が立ち込めます。時折、墨の香もまじるような気がしました。
 おみくじは「小吉」。丹念にはげめということでした。

 家に帰ると『象の耳』(嘴朋子)が届いていました。

 脱ぐやうに解く肩車梅日和 朋子

 この句集をぜひ読んでみたいと思わせた一句です。

 肩車したお子さんをそっと、空に差し上げるようにして下ろしたのでしょう。

幼児のやわらかで、まといつくような触感、軽くなった首筋を抜ける冷たい風に、梅の香りがしてきます。